物が多いと憂鬱になる。引っ越しをしたときの衝撃的な経験

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ぼくが少し前に引っ越しをしたときの話。

「種村くん、すまん、この家取り壊すことになった……」

前に住んでいた家が取り壊されることになった(これだけでも記事がかけるくらいだが、とりあえず置いておく)。

引っ越しをするにあたって、当然ながら荷物をまとめていったのだが、物のあまりの多さに驚いた。

引っ越しで憂鬱になる

この引っ越しをしたとき、新しい家に積まれた段ボールをみたぼくは憂鬱になった。

前に住んでいた家は今住んでいる家よりも2.5畳ほど広かったため、余計に物の多さを感じさせたのだ。

ぼくはノイローゼ気味と表現してもいいほどに気分が悪くなった。たかが引っ越しなのに、気分が落ち込んで不安になって、「これからどうなるんだろう」などと考えていた。

今になって考えると、この経験はモノに対する新たな気付きをたくさんもたらしてくれた。
片づけとかミニマリストとか、そういう方面に関する考え方である。

今日は、引っ越しに関するぼくの衝撃的な経験をお話ししたい。

もともと物は持っていない方だと思っていた

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ぼくはそんなにモノを持っていないと思っていた
実際、洋服は同年代と比べると圧倒的に少ないし、不必要なものも割と捨てることができる。

掃除もそんなに嫌いではなく、まめに掃除をしていたし、床に何も置いていないという状態を作り出す程度のことは簡単にできていた。

他の人からも特に部屋が汚いとか言われたことはなく、少なくとも標準的な片づけ能力を身に着けていたと主観的にも客観的にも評価できるだろう。

引っ越しは自分のすべての物に触れることになる

しかし、引っ越しをしたとき、その自己評価は甘かったと感じさせられた。

段ボールに部屋にあるものを全部入れていくときに、なんてモノが多いんだろうと思わずにはいられなかった。

大体大きなダンボール箱20箱程度だろうか。一人暮らしとして多い方なのかどうかはわからないが、ぼくにとっては衝撃的な量だった(普通に多いかもしれない……)。

引っ越しの準備は1週間前からコツコツと進めていたのだが、完全に終わったのは引っ越し業者が来る直前。こんなに作業があるのかと、引っ越し当日を前に疲労困憊していた。

目に触れるモノの量が少なくても、収納の中の物を出したりすると相当な量になるということがわかる。

特に前の家は広く、収納も大きかったので、モノの多さに気づきにくかったのだと考えられる。

モノが多いことに絶望し憂鬱になった

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問題は引っ越し後だ。積み重なった段ボールを一つ一つ開けて、しまっていかなければいけない。

引っ越し当日は友人が来てくれたため、精神的には安定していたが、その後は憂鬱な日々が続いた。

「いつ終わるんだろう……」と、なんといっていいかわからないくらい、不安や不愉快といった感情でいっぱいになった。

モノの多さに不快感を得たのは初めての事だった。

普通、モノが多ければ多いほど気分がいいと感じるはずだ。でもそうは思えなかった。

このとき、初めてモノを持たない豊かさというものを実感した

今までもモノを持つことが豊かではないということは知識として得ていたが、ここまで劇的な経験ははじめてであった。

物の多さと豊かさは関係ない

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今回の件だけで、物が多いと豊かになれないということはできない。しかし物が多いことは必ず人を豊かにするとはできないということはできるだろう。

この後、ぼくは思い切って片づけをして、270リットル分のモノを捨てた。それでもまだなくても平気なものがあるな、となんとなく感じている。

なにより広くてすっきりした部屋は素晴らしいものです。

ぼくは特別きれいな部屋に住んでいるといえるほどではないが、これからさらに研究していきたい。

とにかく、もうこれ以上多くの物に囲まれて過ごしたくない。

次の引っ越しのときは、新天地の期待だけを胸に準備をしたいものである。

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