他人を変えるのは厳密に言えば不可能だという話

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「他人を変えるよりも自分を変えるべきだ」「他人を変えるのは難しい」

他人を変えるというものが良いか悪いかは別として、他人を変えるという考え方があります。しかし、ぼくは根本的に他人を変えるというのは不可能だろうと思っているのです。

実際は他人を変えるというよりも、「ぼくが友人に変わるべきだと促す」→「友人は自分を変えたいと思う」→「友人が変わる」という過程で人は変化するものだと考えています。

結局のところ、友人自身が変わりたいと思ってはじめて人の根本的な部分が変化するということです。

ただ理屈をあれこれしているだけのようにも思えますが、この考え方を持つだけで人との接し方が変わるといえるでしょう。

人は自分自身をなによりもかけがえのない存在だと信じている

たいていの人間は、自分が他人とは違うことをしているとか、自分は掛け替えのない人間だと思っていたいものだ。自分のしていることが無価値だとか、自身の拠った立つ価値観に抵触することをしていると本気で思っていたら、だれでも意欲は萎える*1

この一文は経営組織の本『隠れた人材価値 (Harvard Business School Press)』からの引用です。

企業における価値観の重要性について説明するときの一文ではありますが、非常に示唆に富み、様々なことに応用できるものであるといえます。

ぼくが他人を変えることはできないというのは、人は自分自身が誰よりもかけがえのない存在だと信じていると思っているからです。

もちろん「自分は誰よりも優れている」「俺は特別な人間だ」とまで全員が信じているわけではありません。しかし、○○世界一、一番お金持ちといった具体的な根拠はないにしても、人はなんらかの自尊感情を持ち合わせているはずです。

そうしたなかで、他人に対して「変われ!」と働きかけたとき、他人は変わろうと思うでしょうか。特にその人の価値観や人間性に関わることを変えようとしても、受け入れてくれることはないでしょう。

それでも他人を変える方法はある

他人を変えることができるたった1つの方法 : ブロガーかさこの好きを仕事にするセルフブランディング術

ぼくが購読しているブログの記事にこんな一文があります。

エラそうなこと言っている上司に限って、自分じゃ何もしていない。
「電話営業しろ!」「契約とってこい!」
といばりちらしても、部下は冷めるばかり。だったらおまえがやってみろよ!と思っているはず。それでやってみせる。成果を出す。
それではじめて言っている本人がやっているのだから、やってみようかと思える。そこではじめて他人の行動を変えられる*2

かさこさんは決して他人を変えることができないと言っているわけではありませんが、上記の文章にある「やってみようかと思える」に本質があるように思えます。

ぼくが先ほど説明した「ぼくが友人に変わるべきだと促す」→「友人は自分を変えたいと思う」→「友人が変わる」というプロセスを経ているのです。

自分が率先して行動することで、相手自身が行動しようと思える、ここで誰かが「お前は変われ!」と命令しているわけではありません。

他人を変えるには、厳密に言えば他人を変えようとしてはいけません。他人が「自分を変えたい、変わろうかな」と思えるように促すことが、いわゆる「他人を変える」であるということではないでしょうか。

まとめ

そんなわけで、他人を変えるというは厳密に言えば不可能ではないかという話をしました。

人は自分自身をかけがえのない存在だと信じているため、ただ「変われ!」と言われただけでは変わろうとしません。

だからこそ「他人を変えたい」と思うのであれば、あくまで「自分を変えたい」と思うように促すようにするべきです。

子供に関しても、反抗期を迎えたり、ある程度独立心がついたりしている場合は、やはり一人の人間として尊重しながら教えてあげるといいと考えています。

*1:チャールズ・オライリー、ジェフリー・フェファー(2002)『隠れた人材価値』翔泳社

*2:改行位置を編集しています

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